2015年9月3日木曜日

松竹創業120周年 秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

2015-09-03 @歌舞伎座


一 双蝶々曲輪日記
(ふたつちょうちょうくるわにっき)
 新清水浮無瀬(しんきよみずうかむせ)の場

二 新歌舞伎十八番の内
   紅葉狩(もみじがり)

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
序幕 奈良街道茶店の場
   同  玉水渕の場
大詰 春日野小由住居の場
   同  奥座敷の場

一 双蝶々曲輪日記
南与兵衛⇒梅玉
藤屋吾妻⇒芝雀
平岡郷左衛門⇒松江
太鼓持佐渡七⇒宗之助
堤藤内⇒隼人
井筒屋お松⇒歌女之丞
手代権九郎⇒松之助
三原有右衛門⇒錦吾
山崎屋与五郎⇒錦之助
藤屋都⇒魁春

二 新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女⇒染五郎
局田毎⇒高麗蔵
侍女野菊⇒米吉
山神⇒金太郎
腰元岩橋⇒吉之助
従者左源太⇒廣太郎
従者右源太⇒亀寿
平維茂⇒松緑

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
紀有常⇒吉右衛門
絹売豆四郎/在原業平⇒染五郎
娘信夫/井筒姫⇒菊之助
絹売お崎⇒米吉
同 お谷⇒児太郎
旅人倅⇒春太郎<初お目見得井上公春(桂三長男)>
およね⇒歌女之丞
川島典膳⇒橘三郎
茶亭五作⇒桂三
銅羅の鐃八⇒又五郎
母小由⇒東蔵


「双蝶々曲輪日記」は昨年の10月の国立劇場で「通し狂言」としてみているので、予習もせずに臨んだ。

今回の「新清水浮無瀬の場」(原作浄瑠璃から三段目の「小指の身代わり」の趣向も取り入れられている、と<筋書き>に書いてある。)は、通しでは除幕に当たる部分で、物語をすっかり忘れているのには我ながら呆れた。もっとも小指を噛み切られる話は忘れているというよりそもそもそんな芝居あったっけ?という疑問が頻りだ。

ただ、南与兵衛(なんよへい・梅玉)が新清水の舞台から商売道具の傘を落下傘のようにして飛び降りる宙吊り芸は思い出した。

見どころはそこだけかな。
<ふたつちょうちょう>と言っても相撲取りは登場しない。
やはり「引窓」を含む場面構成で観たいな。


「紅葉狩」は竹本、長唄、常磐津の掛け合いによる舞踊劇。
能の「紅葉狩」を題材にしているようだが、打って変わって舞台は歌舞伎らしい派手な紅葉尽くしだ。
平維茂(たいらのこれもち。松緑。ヒゲがない方が良かったぞ)が紅葉狩りに来た戸隠山中で更科姫(その正体は戸隠山の鬼女。染五郎)とその共の一行と会い、酒を酌み交わしながら彼女たちの舞を見るうちに睡魔に襲われる。
ここで更科姫が2枚の扇を使って踊るところがひとつの見所らしい。

更科姫一行が姿を消した合間に山神(金太郎)が現れて、維茂に更科姫の本性を告げる。
後半、美しかった更科姫が世にも恐ろしい鬼女とに変貌して維茂を襲うところがものすごい。これはなかなかコワイ。

維茂は愛刀小烏丸で対抗し、鬼女はその威徳に抗せずして松の大木に逃げるように飛び移って両者が睨み合う大見得で幕。

賑やかな浄瑠璃に乗って、派手な舞台と衣装、そして舞踊が華やかでよろしい。



「競伊勢物語」がメインディッシュだったのだろうが、この話も人間関係も複雑で分かりにくくなかなか楽しめなかったが、大詰めのそれも終盤に至っての劇的展開に完全覚醒し唖然とした。

紀有常(吉右衛門)が、実の娘・信夫(しのぶ。菊之助)と彼女の許婚である豆四郎(実は磯上俊清⇒在原業平の家臣。染五郎)の生命を犠牲にして主君業平(染五郎の二役)とその恋人井筒姫(有常の幼女。菊之助の二役)を救う話で、そのような経緯になったのは、あれやこれやあるけど、つまりは、信夫は井筒姫に、豆四郎は業平にそっくりだったったために身代わりにされたということだ。
その死に方もかなり残酷だ。

事情を知らされない信夫の養母小由(東蔵)は信夫と衝立を挟んで向い合い、別れの琴を弾いてほしいと頼み、自らもそれに合わせて砧を打つ(ここでは菊之助が本当に琴を弾いているのには驚いた。なんでもやれるんだ。)。
その琴と砧の音を聴きながら、豆四郎は切腹をし、有常に首を討たれ、ついで、信夫も有経の手にかかって惨殺される。
お家大事のためにやむをえなかったとはいえ、なんという悲惨極まりない筋立てに仕上げたものか。

これは少々気色が悪い話だ。
江戸の庶民はここまでもえげつない話を望んだのだろうか。

昼の部では吉右衛門、東蔵、菊之助の出番はこの演目だけだったが、染五郎も加わって、実に緊迫の芝居を見せてくれたものの、後味の悪い話ではあった。



♪2015-82/♪歌舞伎座-05